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2010年3月

時間経った後の続き…

 徴農制の話。
 一番の問題は、これを職業体験として1年間行なったとしても、土地がなければ意味がないことですかね。現状の農業制度においては、農地の自由な売買はできないわけですし、新しい農地を開拓するにしても、費用がかかるわけですから、自分の職業として考えるには、現実味がないわけです。
 また、農業体験として考えた場合、どの作物を作るのかと言う話がでてきます。作る作物は何でも良いのですが、それが職業として成り立つだけのもうけが出る作物であるか、労力に見合うだけの価値が見いだせる仕事であるか、と言う問題が出てきます。現在、農業を一生の仕事であるとして働いている人は、それなりの規模の農地を持ち、農業をしなければならない環境にあった人が大多数を占めていると思います。(当然、農業以外の仕事がなかった可能性もあります)

 職業体験として徴農制を導入するのであれば、労働力不足を解消すると言う理由だけでなく、一生の仕事として見合うだけの価値を見いだせるよう指導していく必要もでてくる。そうでなければ、無理矢理1年間を拘束し、農業に従事させる意味がない。
 もし、労働力不足の解消だけで、この制度を導入しようとするならば、多分、派遣切りにあった労働者を農業労働力として引き入れようとした、田舎のような事態になりかねないと思う。
 この制度を成功させるには、農業の実体験だけではなく、経営の基礎、国際的な農業経営の方法、生物学的な理論等も、併せて教えていく必要がある。1年間を無駄にしないためには、農業に関わる手段が具体的な作業以外にもあることも伝える必要があるのだから。

 この徴農制、何となく「米作」を中心に考えているような感じがするので、米農家の問題も考える必要はある。
 日本の場合、米農家がほとんどではあるが、正直米農家が最も基盤が弱い、農地も少なく、単価も安いため、充分な所得が得られないと言う問題がある。農地改革前の小作農時代に関しては、富の集中があり、小作農家はかなりの無理をしていたと思うが、戦後、それぞれの農地で作る場合、今度はその農地の少なさが、収入の限界を作ってしまった。特に機械化以降は、機械に見合うだけの収入をもたらしてくれる農地の所有者は少ない。しかも、資本主義の下では、農地が増えれば収入が増えるかと言うと、市場原理から難しい。
 米農家の場合、市場原理よりも生産者米価が壁になっている場合もあるが。

 一次産業全般に言えることは、労力に見合っただけの収入を得ることが難しいことにある。その現実を教えつつも、それでもやり方によっては、成功する要素があると言うことを教育できれば、この制度を導入する意義はあると思う。

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徴農制とか農業やら

 とりあえず、農家の跡を継がなかった私から言えば、辰巳氏の徴農制については賛成だったりします。(先週の太田総理の話ね)

 

多分本気で農業のことを考えている人や農家の方にとっては、1年程度で農業のことを分かったような気になられても困るので、反対な人もいるかと思いますが、農業程土地が無い限り、経験すらできない職業も少ないと思いますので、一つの職業訓練の場として及び食料の自給での確保を考えるのであれば、反対する必要もないと思う。
 気になったのは、反対派の1年が長い、やる気のない人にまで無理やらせるのはどうかと言う話ですが、やる気のない人にやらせるのはどうかというのなら、子供が勉強はやる気がないと言ったら、やらなくていいと言うのかと問いたい。無理矢理やらせたとしても、それをきっかけとして、興味がでたら良い事ではないかと思う。
 また、1年が長いと言うのは、何を基準として長いというのかを言って欲しかった。多分、現行の教育制度の中で、中学と高校の間に1年間の農業従事期間を入れることが、将来への影響として不安になっているのかと思ったが、それこそ、全員が同じであるならば、何の問題もないのではないかと思う。それとも農業従事をせずに別のことをする子供がでることを懸念しているのだろうか?

 ならば教育制度も見直して、無理のない徴農制の環境づくりをしても良いのではないだろうか。

 理想として言っている徴農制も問題がないわけではないので、大筋として賛成しているので、次は問題点を挙げてみたいと思います。
 (以下続く)

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信長協奏曲ーコンツェルトー

 タイムスリップ系の歴史ifと言った作品。
 これがデビュー作という割に、かなり安定した作風のため、安心して読めます。
 もし、信長が現代社会から流された高校生ならばというところから始まった作品ですが、信長の当時の感覚からずれた行動は読んでいて楽しめます。

 現在、2巻まで発売されていますが、2巻のポイントはやはり「斎藤道三」でしょう。彼の存在がこの後の信長の行動に影響を与えるのですから。ちなみに、出生年が謎の斎藤道三も現代から過去へ流れた人物ですから、主人公のこれからの姿をも暗示しているわけです。

 現代へと戻る方法を悩んでいるわけでもない信長であっても、同じ現代人である「道三」の死については、考えるところもあったと思います。そのためにも、今、信長が死ぬわけにはいかないわけですけれども。

 信長の最期については、基本的なところは我々が分かっているわけですから、この話のラストが本能寺であることは確かだと思います。その時、この「道三」との邂逅がどのような意味を持ってくるのか楽しみにしたいです。安易に現代へ戻るようなことは無いと思います(帰ったとしても30年は経っているわけですから)。

 小学館ゲッサンにて、連載中、ちょっと劇画よりの絵が目印。同じくゲッサンにて息子の信雄くんが「活躍」する忍びの国(原作和田竜 作画坂ノ睦)も連載中です。

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余裕がないと言うか

 えーと、確かに「同級生」(PCE版)でこの手のゲームにはまった人間ですし、ハナハル氏やいとうえい氏の作品も購入している人間ですから、平等な見解は出せないですけれども、最近のこの手の作品への風当たりが再び強くなっていきそうなのが、残念ですねぇ。
 正直、そんな環境にない人であっても、その手の犯罪を犯す人は一定数はいるわけですから、ゾーニングで何の問題もないかと思うのですけれども。だいたい現在「知ってしまった」状態にいるわけですから、それを無くしてしまうというのは、抑圧するだけであることになってしまうのではないのでしょうか。
 それとも、現在の生活を捨てて、江戸時代と同じ生活をできるのですかねぇ、規制派の方々は。

 日本の規制方法が、表向き可か不可しか認めていないようになってしまっているイメージが、タバコ然りあるんですけど、どう考えても、そんなものは極一部であることははっきりしているのですし。(パチンコとか)

 タバコもどこぞで、公的な場所は全て禁止として、飲食店まで含めていますが、分煙で何の問題があるのか聞いてみたいところですが。(吸わない人と吸う人が同席した場合どうするのか、と言う話については、はっきり言って、2時間や3時間ぐらいどちらかが我慢しても問題はないだろ、と言いたいが。)

 実在する未成年を保護したい気持ちは分かりますが、国内で完全に規制してしまうと、あれもこれもとなっていって、結果的に、規制する人だけが得をする結果になりませんでしょうか?パチンコ的に考えて。

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アイスダンスの話題をほとんど出さないマスコミはいかがと思う

 カーリングが世界で対抗できるようにするには、メンバー中の有力な人は引退させないようにすべきだと思うんだ。

 オリンピックが終わって、一喜一憂していますが、出場した選手の方々は暖かく迎えてあげたいものです。
 カーリングについては、練習環境や予算の厳しさがあってもかなり健闘したと思いますし、テクニックと戦略がものをいうゲームである以上、他のスポーツよりも根性論では勝てない要素が強いと思います。
 なので、日本的な根性やら気合いでは勝てないことは分かり易いと思います。
 でも、カーリングは、経験だけはウソをつかないゲームです。それは、北欧やスコットランドの方々が端々に見せています。ちょっとしたコントロールについては、やはり経験を積まれた方が魅せてくれました。

 (ここで、女性の社会進出云々といった、フェミニスト的なことを書こうと思いましたが、実はその辺のことを言いたいわけではないですし、書いていくうちに気持ち悪くなりそうなので、省略します)

 体力差があまり関係のないカーリングは、経験による技術がかなりでてくるので、できる限り実力のある人は続けて欲しいものです。

 アイスダンスについては、日本代表がメダル候補ではないとはいえ、全く取り上げない局ばかりなのはどうかと思う。日本国籍を取得した日本代表である以上、もう少し取り上げてくれても良かったと思う。
 日本から他の国へ帰化された方々の方は、メダル争いの中に入ったこともあって、取り上げて易かったのは分かりますが、もう少し、「日本人」を応援して欲しかったですね。

 フィギュアは採点方法を根本的に見直さないとダメだろ、一番高い(低い)点を削るぐらいでないと、あと審査員の国の公表も。とっても密室だからね、今の状況は。

 あと、東海大学はもう少し選手を守ってあげろよ。少なくとも壮行会ぐらいはしてあげろ。そのくらいの度量はあるだろ。
 その関係でもう一つ、世界で試合ばかりやっているので、社会人としてのマナーなどを教えられていない(うろ覚え)と擁護した人については、世界にでているのだから、その辺のことは自然と身に付くものではないのか?少なくとも指導する人の一人や二人はいるだろとは言いたい、それともスノーボードをやっている人は、その辺のことは知らなくてもどうにかなるのか?と聞いてみたい。

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