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時間経った後の続き…

 徴農制の話。
 一番の問題は、これを職業体験として1年間行なったとしても、土地がなければ意味がないことですかね。現状の農業制度においては、農地の自由な売買はできないわけですし、新しい農地を開拓するにしても、費用がかかるわけですから、自分の職業として考えるには、現実味がないわけです。
 また、農業体験として考えた場合、どの作物を作るのかと言う話がでてきます。作る作物は何でも良いのですが、それが職業として成り立つだけのもうけが出る作物であるか、労力に見合うだけの価値が見いだせる仕事であるか、と言う問題が出てきます。現在、農業を一生の仕事であるとして働いている人は、それなりの規模の農地を持ち、農業をしなければならない環境にあった人が大多数を占めていると思います。(当然、農業以外の仕事がなかった可能性もあります)

 職業体験として徴農制を導入するのであれば、労働力不足を解消すると言う理由だけでなく、一生の仕事として見合うだけの価値を見いだせるよう指導していく必要もでてくる。そうでなければ、無理矢理1年間を拘束し、農業に従事させる意味がない。
 もし、労働力不足の解消だけで、この制度を導入しようとするならば、多分、派遣切りにあった労働者を農業労働力として引き入れようとした、田舎のような事態になりかねないと思う。
 この制度を成功させるには、農業の実体験だけではなく、経営の基礎、国際的な農業経営の方法、生物学的な理論等も、併せて教えていく必要がある。1年間を無駄にしないためには、農業に関わる手段が具体的な作業以外にもあることも伝える必要があるのだから。

 この徴農制、何となく「米作」を中心に考えているような感じがするので、米農家の問題も考える必要はある。
 日本の場合、米農家がほとんどではあるが、正直米農家が最も基盤が弱い、農地も少なく、単価も安いため、充分な所得が得られないと言う問題がある。農地改革前の小作農時代に関しては、富の集中があり、小作農家はかなりの無理をしていたと思うが、戦後、それぞれの農地で作る場合、今度はその農地の少なさが、収入の限界を作ってしまった。特に機械化以降は、機械に見合うだけの収入をもたらしてくれる農地の所有者は少ない。しかも、資本主義の下では、農地が増えれば収入が増えるかと言うと、市場原理から難しい。
 米農家の場合、市場原理よりも生産者米価が壁になっている場合もあるが。

 一次産業全般に言えることは、労力に見合っただけの収入を得ることが難しいことにある。その現実を教えつつも、それでもやり方によっては、成功する要素があると言うことを教育できれば、この制度を導入する意義はあると思う。

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